河川から道路へ再開
2014年07月04日
みやもんた at 17:08 | Comments(0)
河川から道路へ再開

私どもの地域の中心を南から北へ流れていた旧蛭川が、都市計画道路 県道『長野真田線』に・・・・・
概ね5年ほど前から、私どもより少し下流の田町付近から土手を崩す工事が始まり、徐々に上流に進み十人町付近までの土手を崩しました。
その後、私どもより少し上流の上荒町橋から荒町橋までの区間で工事を行い、最終の舗装を残しとりあえず休止していました。
再び、来年あたりから工事が再開されるようです。
昔、この地域の人々は蛭川を流れる水を利用して食器を洗ったり、洗濯をしていたそうです。漠然とした記憶の中には、容易に川原に下りることができるよう、家庭毎に土手から川原にかけてスロープがあり、その名残があったようにも思います。そう考えると、我が家を含め昔からこの地域に住んでいる人たちは川の両側にあって、当時は蛭川を中心に生活が成り立っていたように思えます。
私が子供の頃、夏は石や砂利で水をせき止めてプールのようにして泳いだり、カジカを獲ったり、両側の石垣にはスズムシが多く住み着き、夜になると懐中電灯とお茶の袋を持って捕ったものです。また地域の子供たちみんなが蛭川の土手や川原で楽しく遊んだことなどが思い出されます。更に20年ほど前までは育成会で、やはり流れを塞き止めて岩魚のつかみどり大会等を行ったこと等が懐かしく思い出されます。
私たちの住む町も、近い将来、何十年も見慣れた河川から道路へと景色が大きく変貌するのでしょう。

私どもの地域の中心を南から北へ流れていた旧蛭川が、都市計画道路 県道『長野真田線』に・・・・・
概ね5年ほど前から、私どもより少し下流の田町付近から土手を崩す工事が始まり、徐々に上流に進み十人町付近までの土手を崩しました。
その後、私どもより少し上流の上荒町橋から荒町橋までの区間で工事を行い、最終の舗装を残しとりあえず休止していました。
再び、来年あたりから工事が再開されるようです。
昔、この地域の人々は蛭川を流れる水を利用して食器を洗ったり、洗濯をしていたそうです。漠然とした記憶の中には、容易に川原に下りることができるよう、家庭毎に土手から川原にかけてスロープがあり、その名残があったようにも思います。そう考えると、我が家を含め昔からこの地域に住んでいる人たちは川の両側にあって、当時は蛭川を中心に生活が成り立っていたように思えます。
私が子供の頃、夏は石や砂利で水をせき止めてプールのようにして泳いだり、カジカを獲ったり、両側の石垣にはスズムシが多く住み着き、夜になると懐中電灯とお茶の袋を持って捕ったものです。また地域の子供たちみんなが蛭川の土手や川原で楽しく遊んだことなどが思い出されます。更に20年ほど前までは育成会で、やはり流れを塞き止めて岩魚のつかみどり大会等を行ったこと等が懐かしく思い出されます。
私たちの住む町も、近い将来、何十年も見慣れた河川から道路へと景色が大きく変貌するのでしょう。