無病息災・家内安全などを願う 百万遍
2014年08月20日
みやもんた at 10:15 | Comments(0)
無病息災・家内安全などを願う 百万遍

無病息災・家内安全などを願う「大じゅず回し」が、長野市松代町東条 東荒町公民館 行われました。本来は秋葉さん広場で行なわれますが、今年は雨の為公民館で行ないました。
県道真田線工事の為、秋葉さん広場での開催は今年最後と言うことでしたが、残念です。
160年ほど前の、安政2年(1855年)頃から毎年欠かさず8月17日の夕方に行われている百万遍は、地域の皆さんの心のよりどころになっています。
毎年、概ね6時30分から、秋葉神社の広場に地域の皆さんが三々五々集まり、鉦(かね)の音にあわせて 車座になってお数珠を回しながら「なんまいだんぼ、なんまいだんぼ」と唱え、其々の願いをこめて祈ります。お数珠回しを終え 百万遍のお札を戴いた皆さんは、区長・代理区長が用意してくれたスイカ、御供(ごく)を戴いて帰ります。
そのときに戴く百万遍のお札には『奉唱一百万遍之札』と書かれており、無病息災・家内安全など色々な願い事に対して御利益(ごりやく)があり、地域の皆様は、家の入り口に貼っています。

以前は百万遍の終了後、引き続き秋葉さんの広場で地域の役員が中心となって直会を行い、災害や病気がないようにと、なす(特に蒸かしなす)も戴いたようです。
今年は直会も公民館で行ないました。

私達が子供の頃は、現在よりもっと多くの地域の皆さんがおいでになったように記憶しています。周りの地域からもおいでになったようです。 当時子供だった私は、百万遍が行われている横の橋の上で、花火をしたり、周りで楽しく遊んだことを今でも覚えています。しかし、最近は特に子供の姿があまり見られません。寂しいことだと思います。
昔から、人々は、蛭川の水で食器を洗ったり、洗濯をしたりしていたそうで、川の上流で伝染病が発生するとその病原菌が下流まで流れて来て、このあたりの人々まで感染し、大勢の人が苦しんだり亡くなってしまったそうです。 また、当時はきちんとした堤防もありませんでしたので、時折、蛭川が決壊して氾濫し、伝染病が蔓延したと伝えられています。このことから、伝染病をなくし洪水による被害を少なくするため地域のみんなが総出で行われたと思われます。
当時は、近くに医者もいませんでしたし、良い薬もありませんでしたので、神の力にすがらざるを得なかったものと考えられます。伝染病や蛭川の決壊などは、全て悪魔の仕業と考えられていた時代のことであり、この行事も村全体が団結して、悪魔を追い払うために行われたものと考えられています。
従来は、長野市近辺でも、百万遍を行っていたようですが、毎年、日を決めて今でも続けて行っているところは、私たちの東荒町だけのようです。

無病息災・家内安全などを願う「大じゅず回し」が、長野市松代町東条 東荒町公民館 行われました。本来は秋葉さん広場で行なわれますが、今年は雨の為公民館で行ないました。
県道真田線工事の為、秋葉さん広場での開催は今年最後と言うことでしたが、残念です。
160年ほど前の、安政2年(1855年)頃から毎年欠かさず8月17日の夕方に行われている百万遍は、地域の皆さんの心のよりどころになっています。
毎年、概ね6時30分から、秋葉神社の広場に地域の皆さんが三々五々集まり、鉦(かね)の音にあわせて 車座になってお数珠を回しながら「なんまいだんぼ、なんまいだんぼ」と唱え、其々の願いをこめて祈ります。お数珠回しを終え 百万遍のお札を戴いた皆さんは、区長・代理区長が用意してくれたスイカ、御供(ごく)を戴いて帰ります。
そのときに戴く百万遍のお札には『奉唱一百万遍之札』と書かれており、無病息災・家内安全など色々な願い事に対して御利益(ごりやく)があり、地域の皆様は、家の入り口に貼っています。
以前は百万遍の終了後、引き続き秋葉さんの広場で地域の役員が中心となって直会を行い、災害や病気がないようにと、なす(特に蒸かしなす)も戴いたようです。
今年は直会も公民館で行ないました。
私達が子供の頃は、現在よりもっと多くの地域の皆さんがおいでになったように記憶しています。周りの地域からもおいでになったようです。 当時子供だった私は、百万遍が行われている横の橋の上で、花火をしたり、周りで楽しく遊んだことを今でも覚えています。しかし、最近は特に子供の姿があまり見られません。寂しいことだと思います。
昔から、人々は、蛭川の水で食器を洗ったり、洗濯をしたりしていたそうで、川の上流で伝染病が発生するとその病原菌が下流まで流れて来て、このあたりの人々まで感染し、大勢の人が苦しんだり亡くなってしまったそうです。 また、当時はきちんとした堤防もありませんでしたので、時折、蛭川が決壊して氾濫し、伝染病が蔓延したと伝えられています。このことから、伝染病をなくし洪水による被害を少なくするため地域のみんなが総出で行われたと思われます。
当時は、近くに医者もいませんでしたし、良い薬もありませんでしたので、神の力にすがらざるを得なかったものと考えられます。伝染病や蛭川の決壊などは、全て悪魔の仕業と考えられていた時代のことであり、この行事も村全体が団結して、悪魔を追い払うために行われたものと考えられています。
従来は、長野市近辺でも、百万遍を行っていたようですが、毎年、日を決めて今でも続けて行っているところは、私たちの東荒町だけのようです。