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みやもんた
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 例えば、自分は不幸せな人間だと思い込み 毎日 不平不満ばかり言っている人は、他の人のことなど 全く考えることはできない   ◆周りの人のことなど考える余裕はないのであろう
   ◆お金がいっぱいあって、美味しいものを食べ、裕福な生活をしているから 幸せとは限らない  (私はお金が無いので負け惜しみかも?)   ◆お金など無くても、家族が仲良く、地域の人たちと仲良く、皆 健康で生活していることが幸せと考えたら それが幸せで、楽しい人生だと思う・・・  ◆足が痛い、腰が痛いなど多少、体に障害はあっても、心が健康ならそれでいい  ◆私には今、何も無い。定年になって職も無い、お金も無い、ただ少しだけの雇用保険のみ  ◆まだ年金をもらえる年齢にもなっていない  ◆こうして、皆さんの前で色々なお話をすることができる、趣味のケーナを吹くことができる・・・  ◆好きなことをやっている。こうしたことが、幸せ  ◆つい、最近まで、勤め先の病院で威張っていた・・・冷静に考えると、当時は幸せではなかった。縛られた病院の中で、ただ 生かされていただけかも知れない   ◆今、自由に生きている。誰にも束縛されずに  ◆収入は無い。しかし、幸せ  ◆人生は一度だけ。心を豊かにして楽しく生きたいものだ。そして、自分の周りの人たちも、みんな幸せで楽しい人生になるように   ◆つまり・・・「みんなで楽しく」  ◆人生の折り返し点も大分過ぎ、遅ればせながら、最近 こんなことを考えている私です  (先日、行われたコンサートで地域の皆様にお話した内容から)
 
 
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河川から道路へ42

2016年03月30日

 みやもんた at 19:42 | Comments(2)
河川から道路へ42

河川から道路へ42



 昔、地域の人たちは蛭川を流れる水を利用して食器を洗ったり、洗濯をしていたそうです。漠然とした記憶の中には、すぐに川原に下りることができるよう、家庭毎に土手から川原にかけてスロープがあり、その名残があったようにも思います。そう考えると、我が家を含め昔からこの地域に住んでいる人たちは川の両側にあって、当時は蛭川を中心に生活が成り立っていたように思えます。

 私が子供の頃、夏は石や砂利で水をせき止めてプールのようにして泳いだり、カジカを獲ったり、両側の石垣にはスズムシが多く住み着き、夜になると懐中電灯とお茶の袋を持って捕ったものです。また地域の子供たちみんなが蛭川の土手や川原で楽しく遊んだことなどが思い出されます。更に30年ほど前までは育成会で、やはり流れを塞き止めて岩魚のつかみどり大会等を行ったこと等が懐かしく思い出されます。

 私たちの住む町も、来年には何十年も見慣れた河川から道路へと景色が大きく変貌するのでしょう。

河川から道路へ42



河川から道路へ42



河川から道路へ42





この記事へのコメント
昨日のブラタモリ熊本編2では街中の清流が出て来ましたが、道路よりも清流の方が贅沢な気がしますね

熊本の白川自体は阿蘇で大雨が降ると暴れ川になってしまう危険も有るのですが
Posted by DT33DT33 at 2016年04月03日 16:50
DT33さん
いつもありがとうございます
これはテレビ放送ですか?
テレビはあまり見たことが無くて、本当に申し訳ありません
私たちの横の新しい道路も、当初の計画では風流な小川の予定でしたが、計画の変更でこの上にふたをして歩道になりました
車道の両側に自転車道、その両側に歩道です
生活するには便利かもしれませんが・・・
Posted by みやもんたみやもんた at 2016年04月04日 08:28
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