河川から道路へ42
2016年03月30日
みやもんた at 19:42 | Comments(2)
河川から道路へ42

昔、地域の人たちは蛭川を流れる水を利用して食器を洗ったり、洗濯をしていたそうです。漠然とした記憶の中には、すぐに川原に下りることができるよう、家庭毎に土手から川原にかけてスロープがあり、その名残があったようにも思います。そう考えると、我が家を含め昔からこの地域に住んでいる人たちは川の両側にあって、当時は蛭川を中心に生活が成り立っていたように思えます。
私が子供の頃、夏は石や砂利で水をせき止めてプールのようにして泳いだり、カジカを獲ったり、両側の石垣にはスズムシが多く住み着き、夜になると懐中電灯とお茶の袋を持って捕ったものです。また地域の子供たちみんなが蛭川の土手や川原で楽しく遊んだことなどが思い出されます。更に30年ほど前までは育成会で、やはり流れを塞き止めて岩魚のつかみどり大会等を行ったこと等が懐かしく思い出されます。
私たちの住む町も、来年には何十年も見慣れた河川から道路へと景色が大きく変貌するのでしょう。




昔、地域の人たちは蛭川を流れる水を利用して食器を洗ったり、洗濯をしていたそうです。漠然とした記憶の中には、すぐに川原に下りることができるよう、家庭毎に土手から川原にかけてスロープがあり、その名残があったようにも思います。そう考えると、我が家を含め昔からこの地域に住んでいる人たちは川の両側にあって、当時は蛭川を中心に生活が成り立っていたように思えます。
私が子供の頃、夏は石や砂利で水をせき止めてプールのようにして泳いだり、カジカを獲ったり、両側の石垣にはスズムシが多く住み着き、夜になると懐中電灯とお茶の袋を持って捕ったものです。また地域の子供たちみんなが蛭川の土手や川原で楽しく遊んだことなどが思い出されます。更に30年ほど前までは育成会で、やはり流れを塞き止めて岩魚のつかみどり大会等を行ったこと等が懐かしく思い出されます。
私たちの住む町も、来年には何十年も見慣れた河川から道路へと景色が大きく変貌するのでしょう。
この記事へのコメント
昨日のブラタモリ熊本編2では街中の清流が出て来ましたが、道路よりも清流の方が贅沢な気がしますね
熊本の白川自体は阿蘇で大雨が降ると暴れ川になってしまう危険も有るのですが
熊本の白川自体は阿蘇で大雨が降ると暴れ川になってしまう危険も有るのですが
Posted by DT33
at 2016年04月03日 16:50

DT33さん
いつもありがとうございます
これはテレビ放送ですか?
テレビはあまり見たことが無くて、本当に申し訳ありません
私たちの横の新しい道路も、当初の計画では風流な小川の予定でしたが、計画の変更でこの上にふたをして歩道になりました
車道の両側に自転車道、その両側に歩道です
生活するには便利かもしれませんが・・・
いつもありがとうございます
これはテレビ放送ですか?
テレビはあまり見たことが無くて、本当に申し訳ありません
私たちの横の新しい道路も、当初の計画では風流な小川の予定でしたが、計画の変更でこの上にふたをして歩道になりました
車道の両側に自転車道、その両側に歩道です
生活するには便利かもしれませんが・・・
Posted by みやもんた
at 2016年04月04日 08:28
