百万遍 おいでください
2019年08月07日
みやもんた at 21:54 | Comments(0)
百万遍 おいでください
無病息災・家内安全を願う

日時:8月17日(土) PM6:30~8:00
場所:長野市松代町東条 東荒町公民館前広場(雨天:公民館の中)
内容:無病息災・家内安全を願う「大じゅず回し」を行なう百万遍
参加:無料
皆様 ご家族、ご近所お誘いあわせ、どうぞおいでください
約165年前の、安政2年(1855年)頃から毎年欠かさず 8月17日の夕方に行われている百万遍は、地域の皆さんの心のよりどころになっています。 (後半に書かせていただきますが、安政の時代より500年程前から行なわれていた可能性はありますが、何の記録もありませんので不明だそうです)
毎年、概ね6時30分から、秋葉神社の広場に地域の皆さんが三々五々集まり、鉦(かね)の音にあわせて 車座になってお数珠を回しながら「なんまいだんぼ、なんまいだんぼ」と、唱えながら其々の願いをこめて祈ります。お数珠回しを終え 百万遍のお札を戴いた皆さんは、区長・代理区長が用意してくれたスイカ、御供(ごく)を戴いて帰ります。以前は百万遍の終了後、引き続き秋葉さんの広場で地域の役員が中心となって直会を行い、災害や病気がないようにと、なす(特に蒸かしなす)も戴いたようです。
そのときに戴く百万遍のお札には『奉唱一百万遍之札』と書かれており、病気や怪我・災害に遭わないよう無病息災・家内安全など色々な願い事に対して御利益(ごりやく)があり、地域の皆様は家の入り口に貼っています。

3年前に私ども地域の中心を流れていた蛭川が都市計画道路:真田線として開通したため、それにあわせて百万遍も公民館の庭で行なわれるようになりました。
私達が子供の頃は、現在よりもっと多くの地域の皆さんがおいでになったように記憶しています。周りの地域からも沢山の皆様がおいでになったようです。当時子供だった私たちは、百万遍が行われている横の橋の上や蛭川の土手で、花火をしたり、周りで楽しく遊んだことを今でも覚えています。しかし、最近は特に子供の姿があまり見られません。寂しいことだと思います。
昔から、人々は、蛭川の水で食器を洗ったり、洗濯をしたりしていたそうで、川の上流で伝染病が発生するとその病原菌が下流まで流れて来て、このあたりの人々まで感染し、大勢の人が苦しんだり亡くなってしまったそうです。 また、当時はきちんとした堤防もありませんでしたので、時折、蛭川が決壊して氾濫し、伝染病が蔓延したと伝えられています。このことから、伝染病をなくし洪水による被害を少なくするため地域のみんなが総出で行われたと思われます。
当時は、近くに医者もいませんでしたし、良い薬もありませんでしたので、神の力にすがらざるを得なかったものと考えられます。伝染病や蛭川の決壊などは、全て悪魔の仕業と考えられていた時代のことであり、この行事も村全体が団結して、悪魔を追い払うために行われたものと考えられています。
大先輩である長老の方々からの言い伝えによりますと、
百万遍念仏とは、本来、自身の往生、故人への追善、各種の祈祷を目的として念仏を百万回唱えることだそうです。各個人が念仏を7日~10日間に100万回唱えることで目的が成就されるとされており、ただし、複数の人たちが同時同音で念仏を唱えることによって互いの念仏の功徳を融通することが出来るとする考え方もあるそうです。
百万遍の由来は1331年、京都で巨大地震が起こり、その影響により疫病が流行ったため、たくさんの方が亡くなりました。鴨川の河原に病死された方の遺体の山ができるほどで、ひどい惨状だったそうです。
そこで天皇陛下より、京都中の寺社に対して「祈祷をし疫病を鎮めよ」と命が下りました。
知恩寺の住職:空円上人が、命令に従ってこれを沈静するため8月17日を期して、鉦の音に合わせて7日7晩「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続けたところ疫病が鎮まったという話が残っているのです。
悪魔との壮絶な戦いの結果、疫病は沈静したと伝えられており、その8月17日に因みまして私どもの東荒町でも百万遍念仏が途絶えることなくおこなわれているのです。(前述の通り私どもの地域も含めこの頃、百万遍念仏は宮中から各地に広まったと考えられ600~700年前になりますが、今となっては調べる術も無く定かではありませんので、私どもの地域では記録に残っている1855年を初年度として、今に伝えているそうです)
本来は「南無阿弥陀仏」と称えるのが本当のようですが、年を経るに従い「なんまいだ・なんまいだ」から「なんまいだんぼ・なんまいだんぼ」となって、今に伝えられているのでしょう。
じゅず回しの数珠は、上からつかむのでなく、手のひらを上にして、持ち上げいただくようにして回すのが正しいのです。昔から当夜は、参加者やお参りの人たちに、八百屋さんなどから上げられたスイカを配ったり、ごくが配られ、また当番が持ち寄った「うでなす」や漬け物で、終わったときには、最後まで参加していた人たちみんなで、その場でお茶をいただいて解散するといった、心の安らぎの場だったようです。
「なす」は疫病や災害の「無し」を願って、毎年出されてきたものだと長老の皆様は話します。こうした行事が毎年きちんと行われているのは、長野市内でも、東荒町だけといわれます。そのおかげでしょうか戦後疫病が大流行したときも、ここの地域だけは被害が少なくて済んだそうです。
こうした伝統行事を、宗教宗派を越えた楽しい民族文化として、受け継がれているところに区のまとまりのよさがあるのでしょう。
こころの安らぎのために大切にし、正しく伝えて行きたいものです。
宗教宗派を越えた楽しい民族文化である百万遍に皆様 ご家族、ご近所お誘いあわせ、どうぞおいでください
※ 駐車場はありませんので、夕方の散歩がてら夕涼みを兼ねてどうぞおいでください。

無病息災・家内安全を願う

日時:8月17日(土) PM6:30~8:00
場所:長野市松代町東条 東荒町公民館前広場(雨天:公民館の中)
内容:無病息災・家内安全を願う「大じゅず回し」を行なう百万遍
参加:無料
皆様 ご家族、ご近所お誘いあわせ、どうぞおいでください
約165年前の、安政2年(1855年)頃から毎年欠かさず 8月17日の夕方に行われている百万遍は、地域の皆さんの心のよりどころになっています。 (後半に書かせていただきますが、安政の時代より500年程前から行なわれていた可能性はありますが、何の記録もありませんので不明だそうです)
毎年、概ね6時30分から、秋葉神社の広場に地域の皆さんが三々五々集まり、鉦(かね)の音にあわせて 車座になってお数珠を回しながら「なんまいだんぼ、なんまいだんぼ」と、唱えながら其々の願いをこめて祈ります。お数珠回しを終え 百万遍のお札を戴いた皆さんは、区長・代理区長が用意してくれたスイカ、御供(ごく)を戴いて帰ります。以前は百万遍の終了後、引き続き秋葉さんの広場で地域の役員が中心となって直会を行い、災害や病気がないようにと、なす(特に蒸かしなす)も戴いたようです。
そのときに戴く百万遍のお札には『奉唱一百万遍之札』と書かれており、病気や怪我・災害に遭わないよう無病息災・家内安全など色々な願い事に対して御利益(ごりやく)があり、地域の皆様は家の入り口に貼っています。
3年前に私ども地域の中心を流れていた蛭川が都市計画道路:真田線として開通したため、それにあわせて百万遍も公民館の庭で行なわれるようになりました。
私達が子供の頃は、現在よりもっと多くの地域の皆さんがおいでになったように記憶しています。周りの地域からも沢山の皆様がおいでになったようです。当時子供だった私たちは、百万遍が行われている横の橋の上や蛭川の土手で、花火をしたり、周りで楽しく遊んだことを今でも覚えています。しかし、最近は特に子供の姿があまり見られません。寂しいことだと思います。
昔から、人々は、蛭川の水で食器を洗ったり、洗濯をしたりしていたそうで、川の上流で伝染病が発生するとその病原菌が下流まで流れて来て、このあたりの人々まで感染し、大勢の人が苦しんだり亡くなってしまったそうです。 また、当時はきちんとした堤防もありませんでしたので、時折、蛭川が決壊して氾濫し、伝染病が蔓延したと伝えられています。このことから、伝染病をなくし洪水による被害を少なくするため地域のみんなが総出で行われたと思われます。
当時は、近くに医者もいませんでしたし、良い薬もありませんでしたので、神の力にすがらざるを得なかったものと考えられます。伝染病や蛭川の決壊などは、全て悪魔の仕業と考えられていた時代のことであり、この行事も村全体が団結して、悪魔を追い払うために行われたものと考えられています。
大先輩である長老の方々からの言い伝えによりますと、
百万遍念仏とは、本来、自身の往生、故人への追善、各種の祈祷を目的として念仏を百万回唱えることだそうです。各個人が念仏を7日~10日間に100万回唱えることで目的が成就されるとされており、ただし、複数の人たちが同時同音で念仏を唱えることによって互いの念仏の功徳を融通することが出来るとする考え方もあるそうです。
百万遍の由来は1331年、京都で巨大地震が起こり、その影響により疫病が流行ったため、たくさんの方が亡くなりました。鴨川の河原に病死された方の遺体の山ができるほどで、ひどい惨状だったそうです。
そこで天皇陛下より、京都中の寺社に対して「祈祷をし疫病を鎮めよ」と命が下りました。
知恩寺の住職:空円上人が、命令に従ってこれを沈静するため8月17日を期して、鉦の音に合わせて7日7晩「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続けたところ疫病が鎮まったという話が残っているのです。
悪魔との壮絶な戦いの結果、疫病は沈静したと伝えられており、その8月17日に因みまして私どもの東荒町でも百万遍念仏が途絶えることなくおこなわれているのです。(前述の通り私どもの地域も含めこの頃、百万遍念仏は宮中から各地に広まったと考えられ600~700年前になりますが、今となっては調べる術も無く定かではありませんので、私どもの地域では記録に残っている1855年を初年度として、今に伝えているそうです)
本来は「南無阿弥陀仏」と称えるのが本当のようですが、年を経るに従い「なんまいだ・なんまいだ」から「なんまいだんぼ・なんまいだんぼ」となって、今に伝えられているのでしょう。
じゅず回しの数珠は、上からつかむのでなく、手のひらを上にして、持ち上げいただくようにして回すのが正しいのです。昔から当夜は、参加者やお参りの人たちに、八百屋さんなどから上げられたスイカを配ったり、ごくが配られ、また当番が持ち寄った「うでなす」や漬け物で、終わったときには、最後まで参加していた人たちみんなで、その場でお茶をいただいて解散するといった、心の安らぎの場だったようです。
「なす」は疫病や災害の「無し」を願って、毎年出されてきたものだと長老の皆様は話します。こうした行事が毎年きちんと行われているのは、長野市内でも、東荒町だけといわれます。そのおかげでしょうか戦後疫病が大流行したときも、ここの地域だけは被害が少なくて済んだそうです。
こうした伝統行事を、宗教宗派を越えた楽しい民族文化として、受け継がれているところに区のまとまりのよさがあるのでしょう。
こころの安らぎのために大切にし、正しく伝えて行きたいものです。
宗教宗派を越えた楽しい民族文化である百万遍に皆様 ご家族、ご近所お誘いあわせ、どうぞおいでください
※ 駐車場はありませんので、夕方の散歩がてら夕涼みを兼ねてどうぞおいでください。