無病息災・家内安全などを願う 百万遍
無病息災・家内安全などを願う 百万遍
松代東荒町 百万遍

約60年前に遡ります。松代の民話を何作も執筆していらっしゃる青木貞元先生が、民話と出合ったのは、先生が教師として赴任した新潟県で純朴な子供たちと、神社やお寺・古い祠・道祖神のある村で、古くから伝わる村の民話を聞かせていただいたときだそうです。村の皆様から、この民話を方言まじりで聞かせて戴いたことが先生の心を大きく揺さぶり、民話の世界へと導かれたそうです。
当時赴任先のお宅には風呂などは無く、村の皆様のお宅のお風呂をお借りし本当に家族のようなお付き合いをされたそうです。当時のことをお話になる先生のお顔は遠い昔を思い出し、全てを超越し、この上ない素晴らしい表情がとても印象的でした。
その後、青木先生は民話の執筆活動を続けられ、松代に伝わる昔話を掘り起こして100作以上の民話にまとめて、「松代の民話」「続松代の民話」「続々松代の民話」を執筆されていらっしゃいます。
そして、この民話の中から松代地区市制100周年記念事業の一つとして区長会の皆様が中心となって20ヶ所に立て看板を立てました。
実は、私たちの地域にも民話があり、立て看板も設置して戴きました。 それは、青木貞元先生に書いて戴きました「百万遍」です。

青木貞元先生作 民話 百万遍講
今から160年以上前の安政2年8月、一人のお坊様が日の暮れかかった蛭川のほとりを城下へと急いでおりました。東荒町に差し掛かったところ、暗闇の中に二人の村人が座り込んで荒神様の前で一心に祈り続けていました。
お坊様が声をかけると、二人の村人はすがりつくように懇願しました。「おらたちの一人娘が はやり病になってしまって・・・・・荒神様にお願いしているが、どうにもならないのです。どうか、娘をお助けください。村は、生き地獄のようで、村中が大騒ぎなのです」と。
お坊様は、周囲を見渡し「このあたりは妖気が漂い悪魔がうようよしている」「よーし、悪魔退治に取り組むか」「今夜、みんなで荒神様の広場に集まるのじゃ」と言うと、どこかへ行ってしまいました。村人たちは、「このお坊様は、きっと偉い方に違いない」等と口々に言って夕方になるのを待っていました。
日も沈み、あたりに涼しい風が吹き始めた頃、お坊様はいつの間にかおいでになり、傍らに大きな風呂敷づつみを置いて、読経を唱えていました。間もなく広場に集まった村の人たちに「このあたりは悪魔でいっぱいです。皆さん全員で、百万遍の念仏を唱えて悪魔退散を願ってください」と、言って、風呂敷づつみから大きな大きな数珠を取り出し、「この数珠を囲んで輪になり『なんまいだんぼ、なんまいだんぼ』と唱えながら数珠を廻してください。結び目が自分のところへきたら、一心に悪魔退散のお願いをしなさい」と言いました。
念仏は、夜を徹して必死で行われ、お坊様も村の人たちも悪魔との戦いに全精力を注ぎ百万遍念仏を唱えました。そして、東の空がほのかに明るくなってきた頃、お坊様は「もう大丈夫です。みなさん、家に帰ってみなさい。悪魔は逃げ去って、皆元気になりましたよ・・・・・早く家に帰ってあげなさい」と言って城下に向かってしまいました。
村の人たちが、其々家に帰ってみると、昨日まで苦しんでいた子供や年寄りが布団から起き上がり、「何処行ってただ? 腹へった。飯おくれや」等と、昨日までの重苦しい雰囲気は何処へやら。 村は明るさに満ちた朝を迎えていました。
村の人たちは急いで、荒神様の広場に行ってみると、お坊様の姿は何処にも見えず、素晴らしい朝の日の光の中にただ大きな数珠の入った風呂敷づつみと各家庭に配ることのできる「奉唱一百万遍之札」と蛭川のせせらぎだけがありました。
東荒町の人たちは、二度と悪魔を近づけないようにと毎年8月17日の夜、百万遍の念仏を村あげておこなっているそうです。そのおかげで、このとき以来 伝染病や災害はおこらず、豊かで平和な里として栄え続けてきたと言われています。
このお話は、以前、FM善光寺と松代有線放送で放送されました。更に青木先生のご好意により今年の先生の番組の中で、百万遍念仏のお話をしていただけるそうです。

松代東荒町 百万遍

約60年前に遡ります。松代の民話を何作も執筆していらっしゃる青木貞元先生が、民話と出合ったのは、先生が教師として赴任した新潟県で純朴な子供たちと、神社やお寺・古い祠・道祖神のある村で、古くから伝わる村の民話を聞かせていただいたときだそうです。村の皆様から、この民話を方言まじりで聞かせて戴いたことが先生の心を大きく揺さぶり、民話の世界へと導かれたそうです。
当時赴任先のお宅には風呂などは無く、村の皆様のお宅のお風呂をお借りし本当に家族のようなお付き合いをされたそうです。当時のことをお話になる先生のお顔は遠い昔を思い出し、全てを超越し、この上ない素晴らしい表情がとても印象的でした。
その後、青木先生は民話の執筆活動を続けられ、松代に伝わる昔話を掘り起こして100作以上の民話にまとめて、「松代の民話」「続松代の民話」「続々松代の民話」を執筆されていらっしゃいます。
そして、この民話の中から松代地区市制100周年記念事業の一つとして区長会の皆様が中心となって20ヶ所に立て看板を立てました。
実は、私たちの地域にも民話があり、立て看板も設置して戴きました。 それは、青木貞元先生に書いて戴きました「百万遍」です。
青木貞元先生作 民話 百万遍講
今から160年以上前の安政2年8月、一人のお坊様が日の暮れかかった蛭川のほとりを城下へと急いでおりました。東荒町に差し掛かったところ、暗闇の中に二人の村人が座り込んで荒神様の前で一心に祈り続けていました。
お坊様が声をかけると、二人の村人はすがりつくように懇願しました。「おらたちの一人娘が はやり病になってしまって・・・・・荒神様にお願いしているが、どうにもならないのです。どうか、娘をお助けください。村は、生き地獄のようで、村中が大騒ぎなのです」と。
お坊様は、周囲を見渡し「このあたりは妖気が漂い悪魔がうようよしている」「よーし、悪魔退治に取り組むか」「今夜、みんなで荒神様の広場に集まるのじゃ」と言うと、どこかへ行ってしまいました。村人たちは、「このお坊様は、きっと偉い方に違いない」等と口々に言って夕方になるのを待っていました。
日も沈み、あたりに涼しい風が吹き始めた頃、お坊様はいつの間にかおいでになり、傍らに大きな風呂敷づつみを置いて、読経を唱えていました。間もなく広場に集まった村の人たちに「このあたりは悪魔でいっぱいです。皆さん全員で、百万遍の念仏を唱えて悪魔退散を願ってください」と、言って、風呂敷づつみから大きな大きな数珠を取り出し、「この数珠を囲んで輪になり『なんまいだんぼ、なんまいだんぼ』と唱えながら数珠を廻してください。結び目が自分のところへきたら、一心に悪魔退散のお願いをしなさい」と言いました。
念仏は、夜を徹して必死で行われ、お坊様も村の人たちも悪魔との戦いに全精力を注ぎ百万遍念仏を唱えました。そして、東の空がほのかに明るくなってきた頃、お坊様は「もう大丈夫です。みなさん、家に帰ってみなさい。悪魔は逃げ去って、皆元気になりましたよ・・・・・早く家に帰ってあげなさい」と言って城下に向かってしまいました。
村の人たちが、其々家に帰ってみると、昨日まで苦しんでいた子供や年寄りが布団から起き上がり、「何処行ってただ? 腹へった。飯おくれや」等と、昨日までの重苦しい雰囲気は何処へやら。 村は明るさに満ちた朝を迎えていました。
村の人たちは急いで、荒神様の広場に行ってみると、お坊様の姿は何処にも見えず、素晴らしい朝の日の光の中にただ大きな数珠の入った風呂敷づつみと各家庭に配ることのできる「奉唱一百万遍之札」と蛭川のせせらぎだけがありました。
東荒町の人たちは、二度と悪魔を近づけないようにと毎年8月17日の夜、百万遍の念仏を村あげておこなっているそうです。そのおかげで、このとき以来 伝染病や災害はおこらず、豊かで平和な里として栄え続けてきたと言われています。
このお話は、以前、FM善光寺と松代有線放送で放送されました。更に青木先生のご好意により今年の先生の番組の中で、百万遍念仏のお話をしていただけるそうです。
長野で研修会
長野で研修会

長野市第二庁舎10階講堂で長野市子ども未来部子ども政策課と長野市社会福祉協議会主催の研修会で勉強してきました。
講師は昨年11月に行なわれた前回と同じ信州大学:教職支援センター:准教授:荒井英治郎先生による、これからの放課後子ども総合プラン・放課後児童クラブのあり方を考える~全国の動き、求められるニーズ~と題しての講演です。


長野市第二庁舎10階講堂で長野市子ども未来部子ども政策課と長野市社会福祉協議会主催の研修会で勉強してきました。
講師は昨年11月に行なわれた前回と同じ信州大学:教職支援センター:准教授:荒井英治郎先生による、これからの放課後子ども総合プラン・放課後児童クラブのあり方を考える~全国の動き、求められるニーズ~と題しての講演です。
防災訓練
長野市松代町豊栄児童館防災訓練

最近各地で大雨による被害や、地震による被害が続出しています。消防法では、各施設において年2回以上の訓練をするようにと定められており、消防法に定められて通り、2回以上の訓練を行なっています。
そのような中にあり、今回は震度6強の地震が豊栄を直撃した想定で訓練を行ないました。
まず、長野市消防局松代消防署の職員の皆様に地震が起きたときに特に注意しなくてはならないことや、避難方法・応急処置の方法、最近どこの施設にも設置されているAEDの使い方などの説明、そして、今回は竹の棒を2本とどこにもある毛布で即席の担架の作り方などの訓練を受けた後、実際の避難訓練を行いました、最後には消火器の取り扱い訓練と講評をいただきました。


最近各地で大雨による被害や、地震による被害が続出しています。消防法では、各施設において年2回以上の訓練をするようにと定められており、消防法に定められて通り、2回以上の訓練を行なっています。
そのような中にあり、今回は震度6強の地震が豊栄を直撃した想定で訓練を行ないました。
まず、長野市消防局松代消防署の職員の皆様に地震が起きたときに特に注意しなくてはならないことや、避難方法・応急処置の方法、最近どこの施設にも設置されているAEDの使い方などの説明、そして、今回は竹の棒を2本とどこにもある毛布で即席の担架の作り方などの訓練を受けた後、実際の避難訓練を行いました、最後には消火器の取り扱い訓練と講評をいただきました。
松代祇園祭
長野市松代祇園祭

松代夏祭り(祇園祭)が13日(土)・14日(日)に行なわれる予定でした。
昼間から、雨が断続的に降り、6時の開始時刻には一旦止んだかのように思えましたが途中から再び降り始め、神輿は何とか練り歩きましたが、獅子舞は出陣式を終え、練り始めたようでしたが再び雨脚が強くなり残念ながら断念し、待ち望んでいた皆さんががっかりした顔を隠せませんでした。
わたし達も例年のごとく町の中心部にカメラを設置し、小雨の中で何とかカメラだけは濡らしてはならないと試行錯誤の結果レンズのところを残し、ビニール袋をかぶせて開始しましたが、あまりの激しさに雨の当たらないところまで避難して撮影をしました。しかし地域の人の姿はまばらで寂しい雰囲気に、我々も気合は入らず、早々に退散しました。
何とか神輿の撮影は撮ることが出来ましたが、獅子舞は撮ることが出来ませんでした。しかし、技術部長のプロ意識には敬服するばかりで雨 の中、撮り続けアップしてありますのでどうぞご覧ください。
最後に歩行者天国になっている道路を歩いてみましたが、露天商の前も客は全くおらず、歩いている人もまばらで更に寂しい気持ちになりとぼとぼ帰りました。

途中断念の今回の祇園祭の模様は松代テレビにアップしてあります。
松代テレビ局にアップしましたので、寂しいお祭りもご覧ください。




松代夏祭り(祇園祭)が13日(土)・14日(日)に行なわれる予定でした。
昼間から、雨が断続的に降り、6時の開始時刻には一旦止んだかのように思えましたが途中から再び降り始め、神輿は何とか練り歩きましたが、獅子舞は出陣式を終え、練り始めたようでしたが再び雨脚が強くなり残念ながら断念し、待ち望んでいた皆さんががっかりした顔を隠せませんでした。
わたし達も例年のごとく町の中心部にカメラを設置し、小雨の中で何とかカメラだけは濡らしてはならないと試行錯誤の結果レンズのところを残し、ビニール袋をかぶせて開始しましたが、あまりの激しさに雨の当たらないところまで避難して撮影をしました。しかし地域の人の姿はまばらで寂しい雰囲気に、我々も気合は入らず、早々に退散しました。
何とか神輿の撮影は撮ることが出来ましたが、獅子舞は撮ることが出来ませんでした。しかし、技術部長のプロ意識には敬服するばかりで雨 の中、撮り続けアップしてありますのでどうぞご覧ください。
最後に歩行者天国になっている道路を歩いてみましたが、露天商の前も客は全くおらず、歩いている人もまばらで更に寂しい気持ちになりとぼとぼ帰りました。
途中断念の今回の祇園祭の模様は松代テレビにアップしてあります。
松代テレビ局にアップしましたので、寂しいお祭りもご覧ください。
かかしコンクール
長野市松代町かかしコンクール
東条保育園北側の市道沿いの田んぼの真ん中に地域の皆様の作成されたかかしが展示されてます。
3年前までは児童養護施設松代福祉寮主催のかかしコンクールでしたが、現在は松代町かかしコンクール実行委員会によって行われ、今回は3回目です。
主催者は地域の皆様に、是非お気に入りのかかしに投票をお願いしますと話していました。